本日は社会保険労務士会のセミナーで、清水寺貫主の森清範様、北法相宗・宗務長の森清顕様のお話を聞かせて頂きました。森清範様は12月に行われる「今年の漢字」を大きな和紙に豪快に書かれることでも有名です。清水寺は西国33所の16番目のお寺で、京都でも特に有名なお寺です。今回は、巡礼をテーマに西日本で有名な2つの巡礼、西国三十三所巡礼・四国八十八所巡礼について詳しく見ていきたいと思います。
🔴巡礼とは
信仰をもつ人が,聖地や寺・霊場を参拝して歩くこと。キリスト教・イスラム教・仏教の信徒の間で行われており,これらの地をおとずれると,多くの「ご利益」があると信じられています。日本最古の巡礼は、西国三十三カ所で、中部~近畿地方にかけての2府5県をまたぐ観音巡礼です。日本で最も歴史のある巡礼であり、結願時には「現世での罪業が消滅し極楽往生ができる」といわれています。
🔴西国三十三所巡礼
養老2年(718)、大和長谷寺の開山徳道上人は、病にかかって仮死状態になった際、冥土で閻魔大王と出会います。閻魔大王は、世の中の悩み苦しむ人々を救うために、三十三の観音霊場を開き、観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めなさいと、起請文と三十三の宝印を授けました。現世に戻った徳道上人は、閻魔大王より選ばれた三十三の観音霊場の礎を築かれましたが、当時の人々には受け入れられず、三十三の宝印を中山寺の石櫃に納められました。それから約270年後、途絶えていた観音巡礼が、花山法皇によって再興されます。花山法皇は、先帝円融天皇より帝位を譲られ、第65代花山天皇となられますが、わずか2年で皇位を退き、19歳の若さで法皇となられました。比叡山で修行をした後、書寫山の性空上人、河内石川寺の仏眼上人、中山寺の弁光上人を伴い那智山で修行。観音霊場を巡拝され、西国三十三所観音巡礼を再興されました。
出所:西国三十三所巡礼の旅
出所:西国三十三所巡礼の旅を参考に弊所で作成
🔴四国八十八所巡礼
古来、四国は国の中心地から遠く離れた地であり、様々な修行の場でありました。讃岐でご生誕されたお大師さま(弘法大師・空海)もたびたびこの地でご修行をされ、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創されたと伝えられております。そのお大師さまの御跡である八十八ヶ所霊場を巡礼することが「遍路」です。当初の遍路は、修行僧などが中心でした。その後、お大師さまに対する人々の信仰(弘法大師信仰)の高まりと共に、日本全国から多くの方が遍路されたといわれております。そして、お大師さまのゆかりの地として、誰しもが一度は訪れたい霊場として発展していきました。
同行二人(どうぎょうににん)
遍路修行をしているとき、常にお大師さま(弘法大師)と共にいるということです。四国遍路の場合は、その象徴として、金剛杖がお大師さまそのものとされています。遍路修行者は複数人であっても、個人とお大師さまの同行二人であります。
出所:四国遍路八十八ヶ所霊場 を参考に弊所で作成
今回は、西日本で有名な2つの巡礼を見てきました。日本でも多様化により様々な国の人々が来日されています。戒律も厳しい国もありますので、その国の文化を尊重することも大切です。最近は来日される外国人の皆様のほうが日本の文化や歴史に詳しかったりもします。恥ずかしながら私は今回の記事を書くに至って、全く知識がありませんでしたので、今後は興味を持っていこうと感じました。